top of page

明石音頭とは

 音頭の起源は詳しく残っていないですが 伝え聞くところによれば

 明石では新浜、林崎など漁師町で盆の間 故人の供養を兼ね 広場に櫓を建て歌詞は有名な物語や地元の出来事

 また流行歌など即興的に 一番から十番までを ひとくくりに 数え唄とし 太鼓打ちと唄い方の二人でリズムをとり 

 踊り方からも合の手を入れてもらいながら 三者一体となって踊り明かしたものだと聞いています

 この様に何の飾り気もない 複雑な楽器もいらない単純なリズムと素朴な踊りは誰でもが近づきやすく娯楽的要素もあり 

 古くからこの地方で伝わってきたもので 農村部でも一年の節目節目に行われてきたようです

 以上のことから 一説には「播州音頭」の流れを汲むのではないかとも言われています

 現在皆様が親しんでおられる「東あさぎり西二見」の歌詞で始まる音頭は 昭和44年 桜町発展促進会が発足すると

 同時に明石の民謡として、又、誰もが聞いても恥ずかしくない盆踊り唄として明石市の監修も受けています

 歌手は東京在住の民謡歌手 吾妻栄二郎氏に委託し ミノルフォンレコードをはじめ 音楽関係者の協力を得て立派な

 「明石音頭」のレコードができております

 明石音頭保存会では、昔ながらの素朴な音頭の継承者として他の地域で唄われている歌、

 詩などを積極的に取り入れ、

 生歌、生太鼓で踊り手をリードしていこうと努力しています

 

 (音源には様々な楽器が入り民謡アレンジされています)

bottom of page